雪のヨーク

  • Mar 02, 2014

 ダラムの駅で乗った急行列車が、だいぶん遅れてヨークの駅に到着したとき、日はもうとっくに落ち、辺りはすっかり暗かった。小雪の舞う中、駅に隣接したロイヤル・ヨーク・ホテルまで歩く。季節外れの寒波がイギリス全体を覆い、気温が異様に低い。わかりにくいホテルの正面玄関をようやく見つけて中に入り、チェックインを済ませる。あてがわれた4階(イギリス流にいえば3階)の部屋にカバンを運びいれ、一息ついた。

 20年ほど前、ロンドンからエジンバラまで特急列車で走った。別に用はない。乗りたいから乗った。その日のうちにとんぼ返りして、ヨークまで戻ったのは、駅の近くに国立鉄道博物館があり、それが見たかったからだ。宿を取ったホテルの部屋の窓から、思いがけなく、駅のホームを覆う鉄とガラスでできた大屋根の曲線が見えた。発着の案内放送が直接聞こえ、目の前を列車が南北に行き来した。

 今回はロンドンとケンブリッジで大学の用事を済ませ、前日の夜、雪の中を列車でダラムに到着。この日ダラム大学を訪問してから、ヨークまで戻った。そのままロンドンへ下って翌日の飛行機を待ってもよかったのだが、ロンドンのホテルは高い。それなら途中、昔ヨークで泊まったなつかしいホテルで一泊しよう。鉄道博物館を再訪しよう。そう決めた。

 外は寒くて真っ暗で、ホテルに留まった方が楽だが、この町を訪れる機会は滅多にない。それに暗いとはいえ、まだ午後5時を過ぎたばかりである。マフラーを首に巻きオーバーを羽織って、再び外へ出た。左側を見ると、大聖堂の塔が灯りをつけて輝いている。とりあえずあそこに行こう。家路を急ぐ人たちに交じり、滑りやすい道を城壁に沿って歩きはじめた。

 ヨークは古い町だ。ローマ人がブリタニア島を支配していた頃、皇帝の北の宮廷が置かれたという。彼らが去ったあと、海を渡って侵入してきたヴァイキングの支配をしばらく受ける。北部イングランドの人は、人種的にスカンジナビア人と近いらしい。ヨークの聖堂は、キリスト教に改宗したノーサンブリアの王エドウィンの洗礼のため627年に建てられた、小さな木造の建物がその始まりだという。その後石造りになった教会がノルマン人によって破壊され、1080年頃改めて建築がはじまった。現在の大聖堂の原型である。

 凍てつく道を歩き、聖堂の正面にたどり着く。人影がない。入り口の大きな木の扉を推したが、開かない。別の扉もだめ。ガイドブックによれば午後6時まで公開されているという。念のため聖堂の側面に回り別の扉を推すと、今度は開いた。入り口に立つガイドに入っていいかと尋ねると、少しためらうそぶりを見せ、しかし小声で、「もう閉めたのだけれど、聖堂の回廊を歩くだけならいいです」とのこと。さりげなく、そばに置いてある献金箱への寄進を求められる。コインをいくつか入れて、中へ入った。

 一歩聖堂の中へ足を進め、ガイドがなぜためらったのかわかった。聖堂の中心から東へ伸びる内陣(英語でQuireという)で礼拝が行われていた。内陣の正面に立つと、装飾を施した鉄の扉越しに中が見える。左右に白衣をまとった聖歌隊の少年たちが陣取り、高らかに讃美歌を歌う。その奥、正面中央に祭壇があり、司祭たちが式を執り行っている。聖書が読まれ、説教がなされ、パイプオルガンが重厚な音を響かせ、再び聖歌隊が歌う。QuireというのはChoirの古い綴りであるらしい。そういえば英語で聖歌隊のことをChoirという。Quireはもともと聖歌隊が歌う場所という意味なのだ。

 石造りの教会は、音響がすばらしい。特にこのヨークの大聖堂は、大きな石をいくつも積み上げて到達したアーチ型の天井が、とてつもなく高い。一番高いところで何本も梁が交差する、その天井のてっぺんで歌声が反響し、地上へと降りてくる。私は内陣の前でずっと歌声を聴いていた。案内人も、別に咎めない。静かにしていれば許してくれるらしい。

 内陣の入り口を囲む西向きの壁面はQuire Screenと呼ばれ、一面に装飾が施されている。その上にパイプオルガンの巨大なパイプが陣取る。壁面の中段には、入り口の左側に7人、右側に8人、歴代英国王の彫像が並ぶ。ノルマンの征服を率いたウィリアムI世からヘンリーVI世までの、15人だそうである。ちなみにウィリアムI世は11世紀、ヘンリーVI世は15世紀の王で、これらの彫刻が完成したのは15世紀末であるらしい。

 王はそれぞれ剣をまっすぐに立てて握る。よく見ると少しずつ異なった衣装を身につけ、さまざまな表情をしている。ほとんどは法衣のようなのを全身にまとっているけれど、中に一人だけ、すね毛丸出しの野武士のような王がいる。髭を生やした無骨な王、つるりとした顔で意志の弱そうな王。15人の王は500年のあいだ、この場所でそれぞれじっと動かずにいた。聖歌隊の歌声を聴いても、にこりともしない。高い天井からぶら下がる針葉樹の葉をあしらった丸い飾り物が、聖堂内の気流によってゆるやかに回転する。それが照明をわずかにさえぎり、王たちの顔に影となって映る。彼らの表情がかすかに変化する。

古の 荒ぶる君は ヨークなる
 聖堂(みどう)の石と なりにけるかも

 礼拝が終わり、外へ出た。夜の空気はますます冷たい。凍てついた町の目抜き通りをしばらく行き、ベティーズというガラス窓に囲まれたティールームでスコーンとティーで体を温めた。ウェートレスがみな制服にエプロンをして給仕する。男性客のほとんどがネクタイを締め、婦人客もまたこぎれいに着飾っている。初老の男性が時々現れては、やわらかにピアノを弾く。昔読んだイギリスの童話の中にいるような、不思議の国のアリスとウサギがひょっと顔を出しそうな、錯覚を覚えた。

 店を出て、ホテルへ向かう。ヨークの夜は次第にふけ、ウース川にかかる橋を渡り、城壁の上を歩く。雪がまた降る。突然、背後で大聖堂の鐘が鳴りだした。音色の異なる多くの鐘が一斉に鳴り、重なって響きあい、いつまでもやまない。100年前、500年前、もしかしたら1000年前にも、この鐘は聖堂の高い塔にあって、町じゅうに鳴り響いたことだろう。

 クリスマスが近い。

(慶應義塾大学ホームページ「おかしら日記 雪のヨーク」2010年12月13日掲載に加筆)